「いい人がいない」「すぐ辞めてしまう」「教える時間がない」

中小企業の人材に関する悩みは尽きません。だからこそ、私たちは「人を雇うとはどういうことか?」という問いに立ち返る必要があります。

P.F.ドラッカーは『現代の経営〈下〉』第20章において、「人を雇うということ」に関し、「手だけを雇うことはできない。手の所有者たる人がついてくる」と述べました。

この一文は、「雇用」が単なる人員補充や作業分担ではなく、人間そのものと向き合う行為であることを鋭く示しています。

本稿では、ドラッカー教授が示した「人と仕事のマネジメントが複雑な問題である3つの理由」に焦点を当て、現代の中小企業経営にとってのヒントを探っていきます。

難しさの理由①「人は単なる資源ではない」

ビジネスの現場では、「人材」「人的資源」といった言葉が頻繁に使われます。しかし、ドラッカー教授はこうした言葉の便利さの裏に潜む誤解を鋭く見抜いていました。すなわち、人間を他の資源と同列に扱おうとする危うさです。

ドラッカー教授は次のように述べています。

人には他の資源にはない資質がある。すなわち、調整し、統合し、判断し、想像する能力である。

P.F.ドラッカー『現代の経営〈下〉』

この一文は、経営における「人」という存在の特異性を端的に表しています。人は、単に命令を受けて動く存在ではありません。人には思考があり、感情があり、自らの意志で動く存在です。そして、まさにその特質こそが、組織における価値の源泉でもあるのです。

では、企業はその「人」という存在にどう向き合うべきなのでしょうか。ドラッカー教授は、従来の管理発想をこう切り捨てています。

伝統的な動機づけの道具だった『恐怖』というものがほとんど消滅してしまったからである。

P.F.ドラッカー『現代の経営〈下〉』

かつての工場的マネジメントにおいては、強制力や上下関係が人を動かす原動力となっていました。しかし現代の働く人は、それでは動きません。「命じれば動く」という時代は終わったのです。

そのうえで、ドラッカー教授はこう提案します。

人を精神的、社会的な存在として認識し、その特質に合った仕事の組織の仕方を考えるというアプローチが必要である。

P.F.ドラッカー『現代の経営〈下〉』

中小企業では、一人ひとりの個性や価値観が組織の雰囲気や業績に直結します。だからこそ、単に「人手」を配置するのではなく、その人がどうすれば力を発揮できるか、何にモチベーションを感じるかといった人間らしさに目を向けた組織設計が不可欠です。

ドラッカー教授はさらに、本質的な違いを次のように表現しています。

人格をもつ存在としての人を利用できるのは本人だけである。これが人と他の資源との、最大にして究極の相違である。

P.F.ドラッカー『現代の経営〈下〉』

つまり、人は他者に使われる存在ではありません。自らの意思で自分を活かすことでしか、その力を発揮できないのです。経営者や管理者にできるのは、「活かされる場」を整え、「活かす意志」を支援することに過ぎません。

中小企業の現場で「思うように動かない」「育たない」という声が上がるとき、その背後には「人を管理できる資源」と見なしてしまっている無意識の前提があるかもしれません。そうではなく、「自らを活かす力を持った存在」として尊重し、その力が自然に湧き出す仕組みを考えること。それが人のマネジメントにおける第一歩であり、最大の難しさでもあるのです。

難しさの理由②「働く人と企業が互いに求め合うもの」

雇用関係は、単なる「労働力の提供」と「報酬の支払い」という一方的な取引では成り立ちません。現代の企業と働く人の関係は、相互に“期待し合う”関係へと進化しています。

ドラッカー教授は、企業が働く人に対して何を求め、逆に働く人が企業に何を求めるのかを明確に言語化しています。まず、企業が働く人に対して求めるべきこととして、次の2点を挙げています。

企業が働く人たちに対して第一に要求すべきは、企業の目標に進んで貢献することである。
(中略)
企業が働く人たちに対して第二に要求すべきは、変化を進んで受入れることである。

P.F.ドラッカー『現代の経営〈下〉』

企業が存在するのは、明確な目的(顧客に対する価値提供、社会課題の解決など)を果たすためです。したがって、働く人に求められるのは、単に仕事をこなすことではなく、「その目的に自ら進んで貢献する姿勢」だとドラッカー教授は説きます。また、変化のスピードが激しい時代においては、「変わらずに働き続けたい」という姿勢はむしろリスクとなります。変化を受け入れ、学び、適応する力は、すべての職種・すべての人に求められるのです。

一方、企業もまた、働く人から一方的に貢献を求めるだけではいけません。人は単なる経済的存在ではなく、人格をもった個人です。ドラッカーは次のように明言しています。

働く人として企業に対して要求を突きつけるのは人格をもつ人であって、単なる経済的存在ではない。彼らは経済的な報酬を超えて、個として、人として、市民として見返りを要求する。仕事において、仕事を通じて、地位と機能の実現を求める。

P.F.ドラッカー『現代の経営〈下〉』

つまり、働く人は「給料がもらえればよい」と考えているわけではありません。仕事を通じて成長したい、自分の存在価値を感じたい、仲間とともに社会に役立ちたい――そうした人間としての欲求や価値観を満たすことも、企業に求められるのです。

では、どうすればそのような関係性を築くことができるのでしょうか。ドラッカー教授はその鍵として、次のように語っています。

一人ひとりの人は個人であり続ける。したがって仕事のための組織においては、集団と個人の調和が重要な意味をもつ。ということは、個人の強み、主体性、責任、卓越性が、集団全体の強みと仕事ぶりの源泉となるよう仕事を組織する必要があることを意味する。

P.F.ドラッカー『現代の経営〈下〉』

ここに現代のマネジメントにとっての最大の課題があります。それは、個人の自由や自己実現を尊重しながらも、組織の目標に一致させていくという難易度の高い統合作業です。

中小企業においては、このバランスは特に繊細です。経営者と従業員の距離が近く、1人ひとりの影響力が大きい分、互いの信頼や期待がズレたときの摩擦も大きくなります。「上からの命令に従え」「文句があるなら辞めろ」といった旧来の発想では、もはや人はついてこないのです。

だからこそ、経営者やマネージャーには、「この仕事はあなたにとって意味があるか?」「この変化をどう捉えているか?」「会社はあなたに何を提供できているか?」といった問いを、日常的に投げかける姿勢が求められます。

働く人と企業が互いに求め合うものを明らかにし、共有し、すり合わせていくプロセス――そこにこそ、本当の意味での雇用関係が成立するといえるのです。

難しさの理由③「成果と生活の交差点としての企業」

企業は成果を上げなければ存続できません。そして成果とは、外の世界における変化であり、売上や利益といった数値に現れる組織にとっては非常に現実的でシビアなものです。

一方、企業で働く人にとっては、職場はただの成果の場ではありません。そこは生活の基盤であり、自分や家族の暮らしを支えるための生計の場でもあるのです。

ドラッカー教授は、この根本的なズレを明確に言語化しています。

企業にとって、賃金すなわち労働の報酬は、必然的にコストである。しかし、その受け手たる働く人にとって、賃金は収入すなわち彼とその家族の生計の資である。(中略)ここに基本的な対立の源がある。企業は賃金負担が柔軟であることを必要とする。しかし人は、景気に関係なく働く意志さえもてば確実かつ安定した収入を得られることを求める。

P.F.ドラッカー『現代の経営〈下〉』

この一節には、現代のマネジメントが直面する矛盾が端的に表現されています。企業にとっての変動費が、働く人にとっては生活保障である。このギャップは、好不況や売上の増減と無関係に、常に存在し続けるものです。

さらにドラッカー教授は、利益という概念にも二重の意味があることを指摘します。

加えて利益に二面性がある。企業にとって、利益は自らの存立のための必要条件である。しかし働く人にとって、利益は誰か他の者の収入である。

P.F.ドラッカー『現代の経営〈下〉』

これは、経営者と従業員の間に存在する利益に対する認識の差を示しています。経営者にとって利益は企業の血液であり、未来の投資や持続的経営の原資ですが、働く人にとっては自分たちが頑張った結果を誰かが取り分けているものに映りがちです。

この見え方のズレが、賃金交渉、評価制度、賞与配分といった実務の場面でたびたび摩擦を生む原因となります。特に中小企業では、経営者と従業員の距離が近いため、利益と賃金の関係についての認識が食い違うと、信頼関係に直接影響します。

それでも、企業は収益を確保しなければ生き残れません。ドラッカー教授はそれを次のように明言しています。

企業は適切な利益をあげつつ活動しなければならない。そのことは、企業にとって社会全体に対する第一の責任であるとともに、自らとそこに働くものに対する第一の義務である。

P.F.ドラッカー『現代の経営〈下〉』

つまり、利益は単なる経営者のためのものではありません。むしろ、企業が存続し、そこに働く人々の生活を安定させるための義務であり、社会に対する責任でもあるというのです。

このように、企業は成果を出す場所であり、生活を支える場所でもある。だからこそ、マネジメントは単なる経営技術ではなく、社会的な調整力を含んだ総合芸術なのです。

とりわけ中小企業では、「どこまで賃上げできるか」「人件費が重くなると不安」「でも従業員の生活は守りたい」といった葛藤が日常的に発生します。その葛藤こそが、まさに人と仕事のマネジメントの複雑さの現れなのです。

まとめ「雇用とは企業の社会的誓約である」

人を雇うという行為は、決して簡単なことではありません。

それは業務をこなす人員を確保するだけでなく、成果を生み出す関係性を築く行為であり、生活を支える責任を負う行為であり、そして人間という複雑な存在と向き合う覚悟を問われる行為です。

ドラッカー教授が繰り返し説いたのは、人は他の資源とは根本的に異なるという事実と、それを踏まえてマネジメントの仕組みや文化そのものを再設計する必要性でした。

企業が働く人に求めるものは、成果への貢献変化への適応

一方で、働く人が企業に求めるのは、生計の安定だけでなく、自分の存在が尊重されること仕事を通じて成長や社会的地位を実感できること

このような双方向の期待が交差する場が、まさに雇用という関係の本質です。

そしてその関係は、契約書に書かれることだけでは完結しません。

実際には、日々のやり取り、評価制度、給与の支払い方、声のかけ方、任せ方といった小さな積み重ねによって、信頼と相互理解が育まれていきます。

ドラッカー教授は、企業が適切な利益をあげることを社会全体に対する第一の責任であると同時に、自らとそこに働くものに対する第一の義務だと述べました。

つまり、雇用とは社会への貢献と人の尊重が一体となった営みなのです。

中小企業の経営においては、人材の獲得や定着に悩みがちです。しかし、その根底には人と仕事をどう捉えているかという思想の違いが存在します。

もし、雇用を労働力の確保ではなく人との社会的契約だと捉えることができれば、採用の仕方、育成の仕方、評価の仕方、制度設計のすべてが変わっていくはずです。

誰を、なぜ、どのように雇うのか。

その問いに向き合うことこそが、ドラッカー教授の言う経営の本質であり、私たち中小企業がこれからの時代を生き抜くための最も強い経営戦略なのではないでしょうか。