「メールにちゃんと書いたはずなのに、なぜか伝わっていない。」
「報告書を読んでいないのか、全然違う行動をしている。」
そんな経験はありませんか?
多くの経営者やリーダーは、「うちの社員は文章が読めないわけがない」と思いがちです。確かに、社員たちは読み書きはできるし、スマートフォンで長文のやり取りもこなしています。しかし、「読める」と「正確に理解できる」は、まったく別の能力です。
ここでひとつ、話題になった有名な問題をご紹介します。
「Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。」
【問】この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを1~4の中から選びなさい。
『Alexandraの愛称は( )である』
リーディングスキルテスト
(1)Alex、(2)Alexander、(3)男性、(4)女性
これは、「アレキサンドラ構文」と呼ばれる一文です。リーディングスキルを測るテストでは、中学生の正答率が38%、大人でも50%前後という結果が出ています。
なぜ多くの人がこの問題を間違えるのか?
それは、表面的には読めていても、「文の構造」を正しく追えていないからです。
つまり、文法や語彙の知識ではなく、「文章をどう理解するか」というスキルの問題なのです。
この“読めているつもり”の問題は、実は日常のビジネスコミュニケーションにも深く関わっています。
本コラムでは、このアレキサンドラ構文をきっかけに、「読めるはず」が通用しない時代の人材育成のヒントを探っていきます。
アレキサンドラ構文とは何か ― 読解力の“見えない壁”
冒頭で紹介した一文――
「Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。」
この文章は、単純な語彙力や漢字の読み書きではなく、「構文を把握する力」=論理的な読解力を試す設問です。
問われているのは、「Alexandraの愛称は何か?」というシンプルな内容。
正解は(1)Alexです。
しかし、これは単純な暗記ではなく、文の構造を正確に追いかける読解スキルがなければ答えにたどりつけません。
「機能的非識字」とは何か
この設問で多くの人がつまずく背景には、「機能的非識字(functional illiteracy)」という問題があります。
これは、文字は読めるが、実用的な文を正確に読み取り、意味を理解する力が不十分な状態を指します。
たとえば、ビジネスにおいて「この書類の提出期限は5営業日以内です」という表現を、「5日以内に提出すればいい」と解釈して土日を含めてしまうようなケースです。
このようななんとなく読んだつもりのまま動いてしまうことで、小さなミスが積み重なり、業務の遅れや顧客対応のトラブルにつながることもあります。
リーディングスキルテストの実態
実際、一般社団法人 教育のための科学研究所が開発・実施している「リーディングスキルテスト(RST)」の結果によれば、このアレキサンドラ構文のような文の正答率は大人でさえ50%程度。つまり、半数近くの人が、“読んだつもり”でも正確に理解できていないのです。
これは一部の学生や若手社員の話ではありません。実は、私たちが日常的に接している部下や同僚、さらには管理職の中にも、「読み誤る可能性がある人」が一定数存在しているということなのです。
読解力=組織内の“見えない基礎力”
読解力は、学校で学ぶ国語のテストのような“知識”ではなく、ビジネスにおける「報告・連絡・相談」や「業務指示」、「メールでのやりとり」のすべての基盤となるスキルです。
にもかかわらず、「大人だから読めるはず」「社会人なら理解できて当然」という思い込みが、人材育成において大きな落とし穴になっているのです。
では、こうした読めているつもりが、実際のビジネス文書やメールの現場でどのような形で現れるのでしょうか。具体的な失敗例と改善例を紹介していきます。
ビジネス文書に潜む“読解の落とし穴”
読解力の問題は、学校のテストだけで起きているわけではありません。
それは、日々の業務の中、特にビジネスメールや報告書といった文書コミュニケーションにおいて、静かに、しかし確実に影響を及ぼしています。
❌よくある誤解の例①:情報の順序がズレているメール
件名:納品件について
お疲れさまです。○○株式会社の山田です。
さて、来週の展示会に関して、資料の納品日を17日に変更していただけますでしょうか?
なお、デザインに一部修正が入る予定で、金曜に再送いたします。
よろしくお願いいたします。
このメール、いかがでしょうか。一見、丁寧で読みやすそうに見えます。しかし、「目的」と「理由」が逆転しており、読解に余計な負荷がかかります。
「納品日の変更」なのか、「デザイン修正」の話なのか、どちらが主眼なのかが曖昧です。
件名:【納品日変更のお願い】展示会資料(6/15→6/17)
お疲れさまです。○○株式会社の山田です。
来週の展示会資料について、デザインに一部修正が入る関係で、納品日を15日から17日へ変更いただけますでしょうか。
修正内容については金曜日までにご共有予定です。
ご対応のほどよろしくお願いいたします。
改善案では、主旨が明確に先に伝えられ、理由が後から補足されているため、読解ストレスが大幅に減ります。
❌よくある誤解の例②:構造が複雑すぎる依頼文
先日の会議で共有された「業務改善案」に関して、可能であれば今週中に担当者をアサインし、その担当者に予算見積もりを依頼して、翌週の全社会議に向けた資料作成もあわせて進めていただきたいと考えております。
このように、1文が長く、指示が詰め込まれているメールは、読解力を要します。結果として「どこから手を付ければいいのか」がわからなくなり、動き出しが遅れます。
先日の会議で共有された「業務改善案」について、以下の対応をお願いいたします。
- 今週中に、担当者をアサインする
- 担当者に予算見積もりを依頼する
- 来週の全社会議に向けた資料作成を進める
不明点があればご連絡ください。
文章構造を整理し、読みながら同時に理解する負荷を下げることが、現代のビジネス文書には求められています。
✍️ 読解力が低いと「聞かない・読まない・誤解する」
読解力が十分でない社員にとって、構造の複雑な文書や背景の省略されたメールは、「よくわからないから後回し」「一部だけ読んで判断する」原因になります。
その結果、再説明・誤対応・作業遅延など、組織的な非効率が連鎖します。
これを「本人のやる気の問題」と見なしてしまうと、根本解決には至りません。実際には、「読む力の支援=理解力の支援」が必要なケースが多いのです。
つぎは、このような読解のギャップを人材育成の観点からどう補うか、具体的な施策や支援の方法を解説していきます。
人材育成と“読解力”――見過ごされてきたスキルをどう鍛えるか
「読めるはず」が通用しない――この現実を前提にすることで、組織における人材育成の方向性は大きく変わります。
これまで、社員のミスや誤解、報連相の不足といった課題は、「注意力が足りない」「確認不足」「指示待ちの姿勢」といった形で、個人の姿勢や意識の問題として扱われてきました。けれど実際には、「伝え方」や「受け取り方」の構造的なすれ違い、つまり読解力の問題である可能性が少なくありません。
読解力は、読み書きの基礎能力というよりも、ビジネススキルとしての情報理解力です。これはトレーニングによって育てることができる力です。
たとえば、以下のような育成施策は、読解力の向上に効果的です。
- メールや報告書の「要点抽出」トレーニング
- 業務マニュアルを用いた「再説明ワーク」
- 指示書や手順書の読解→要約→再記述の演習
- 1on1やOJTでの「行間をどう読んだか」を言語化させる対話
- そもそも読みやすい文書を上司側が心がける
「わかりやすく書く」だけでなく、「わかるように読む」という視点も組織に取り入れていく必要があります。読解力を高める文化は、社員の自律性、チームの連携力、業務のスピードに直結します。
また、読解力を育てることで、副次的な効果も得られます。それは「質問力」が育つということです。文の意味を自分で構造的に理解しようとする姿勢が身につけば、「なぜこうなっているのか」「他の選択肢はないのか」といった問いを自然に立てられるようになります。
上司からすれば、報告が的確になり、指示の意図をくみ取って動いてくれる部下が増えたと感じるでしょう。
読み手と書き手の相互理解が進めば、組織内のコミュニケーションはよりシンプルかつスムーズになります。これはDXや業務効率化といった施策に取り組む以前の、“人”にかかわる最も根源的な開発投資とも言えるかもしれません。
読み間違いによるミスを叱るより、「読めるように育てる」こと。その視点を、これからの人材育成の土台に据えていくことが求められています。
まとめ――読解力は組織の“見えない資産”
「メールにちゃんと書いたのに、伝わらない」
「説明したはずなのに、理解されていない」
そんなすれ違いは、もはや個人の注意力や性格の問題ではなく、組織における読解力というスキルの問題かもしれません。
アレキサンドラ構文のような、一見単純に思える一文でも、多くの人が文の構造を追いきれず、誤解してしまう。これは学校教育だけでなく、職場や現場で日々起きていることです。
読解力は、「読み書きができる」という基本的な識字能力とは異なり、構造を理解し、文の意図を正しく読み取る力です。この力は、放っておいて自然に身につくものではなく、トレーニングによって伸ばすことができるスキルです。
そしてそのスキルは、単に文書を正しく読むためだけでなく、次のような組織力を底上げしていきます。
- 情報の共有ミスが減り、再説明の工数が削減される
- 部下の主体性が高まり、「指示待ち」が減る
- チーム内の認識がそろい、スピードと精度が上がる
- 上司も「伝える力」を磨く必要に気づき、双方向の対話が生まれる
特に中小企業や変化の激しい現場では、限られたリソースで最大の成果を出す必要があります。そのためには、「人が持つ基礎的な理解力」こそが、最も重要な投資対象になるのです。
まずは、次の社内会議、次の業務指示、次のメールからで構いません。
「この文は、相手にとって読みやすいか」「主語と目的が明確か」「理由と背景が伝わっているか」
そんな問いを持ちながら、伝える側・受け取る側の両方が、読解の質を意識する文化を育てていきましょう。
読解力は、可視化しづらい能力でありながら、組織のあらゆる土台に深く根ざす見えない資産です。その力を磨くことが、人材育成の本質であり、ひいては経営の質を高めることにつながるのです。