「経営とは何か?」この問いに対し、埼玉大学経済経営系大学院教授で組織論研究者の宇田川元一先生は、「経営の本質は対話である」と語られました。
本稿では、ドラッカー学会20周年記念大会での講演「『経営する』とはどういうことか」をもとに、中小企業の経営に活かせる視点をまとめます。
経営とは「数字を出すこと」なのか
ドラッカー学会創立20周年の記念講演で、宇田川元一先生は「『経営する』とはどういうことか」というテーマで登壇されました。
冒頭で取り上げられたのは、カルロス・ゴーン氏の改革によってV字回復を遂げた日産自動車が、再び業績低迷に陥っているという現実です。
「ゴーン氏は日産を変えたのか。変えたとして、どう変えたのか。」
先生はそう問いかけます。
経営とは、単に数字を上げることではないといいます。
「私の仕事は数字を達成することです」と語る社員がいたとすれば、その人は「自分である必要のない存在」になってしまう。
数字だけを追う経営は、会社を人のいない装置にしてしまうからです。
慢性疾患としての企業変革
先生は著書『企業変革のジレンマ』で、企業の多くが「急性疾患」ではなく「慢性疾患」に苦しんでいると述べています。
V字回復のような劇的な変革は目立ちますが、実際の企業の多くは、売上が毎年少しずつ減り、利益率もじわじわ下がっていくという“慢性的な悪化”に陥っています。
この状態には特効薬がなく、運動や食事を整えるように、地道な習慣の改善が求められます。
事業の成熟に伴い、分業化とルーティン化が進むことで、効率性は高まる一方、視点の断片化を招きます。部門ごとに「自分の正義」を守るようになり、全体を見通せなくなる。宇田川先生はロンドン地下鉄「キングスクロス駅火災」を例に挙げます。
駅員も消防も誰一人ルールを破らなかったのに、31名が亡くなった。
「誰もサボっていないのに、なぜ死者が出たのか」――
この逸話は、組織の硬直化がどれほど危険なものかを示しています。
「考える」ではなく「考えられる」組織へ
「変革の出発点は“考えられるようになること”です」と宇田川先生は強調します。
考える機会が奪われた現場では、自律的な変化は起きません。まず「自分たちは考えられていない」という事実に気づくことが、変革の第一歩になるといいます。
サイゼリヤの正垣泰彦氏が「成功とは今やっていることを改める理由がないとき。失敗とは今やっていることを改めるとき。つまり、成功とは失敗に失敗しているときである。」ということを言っていたそうです。
つまり、失敗していることに気づけない組織こそが危ういのです。
経営者が現場の声に耳を傾け、現場が課題を言語化する。
その往復運動――つまり対話こそが、企業を再び動かす力になります。
経営の本質は「対話」にある
宇田川先生は、ドラッカーの『現代の経営』にある次の言葉を紹介されました。
企業とは何かを理解するには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、それぞれの企業の外にある。事実、企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的として有効な定義は一つしかない。すなわち、顧客の創造である。
P.F.ドラッカー『現代の経営〈上〉』
「目的は外にある」という視点に、先生は深く感銘を受けたといいます。
それは「他者を通じて私が生成される」という、対話の原理そのものです。顧客という“他者”を通じて、自社の存在意義を捉え直す。
経営とは、この応答の積み重ねであり、経営そのものが対話だというのです。
アメリカの鉄道会社が「輸送業」ではなく「鉄道業」と自らを定義して衰退したように、他者の視点を失った企業は、やがて顧客を失います。
経営とは、他者との応答の中で「自分たちは何者か」を問い続ける営みなのです。
商品やサービスを引いた“残り”に現れるもの
講演の中で特に印象的だったのが、先生が外食チェーンでの経験をもとに語られた一節です。
サイゼリヤの店舗に行くと、どのスタッフも丁寧で、顧客が「歓迎されている」と感じる。
一方、別の飲食チェーンでは、効率化のために無人の注文システムを導入し、スタッフの対応も機械的だった。
「栄養は取れたけれど、なんだか寂しい」と感じたといいます。
そこで先生は、次のように述べられました。
「その会社が本当にやっていることは、商品やサービスを引いた残りに現れる。」
どんなにおいしい料理を提供していても、どんなに立派な商品を扱っていても、その背後にある人の関わり方やまなざしが冷たければ、顧客は「人として扱われていない」と感じる。
逆に、低価格でも、誠実に迎え、真摯に応える組織は、顧客の心に深く残る。
経営とは、目に見える成果物の背後にある「関係の質」を問う営みなのです。
イノベーションの反対語は「革命」
先生が紹介された印象的な言葉があります。
「イノベーションの反対語は革命である」。
ドラッカーが重視したのは、破壊ではなく適応でした。
現実を否定するのではなく、そこに潜む機会を発見し、少しずつ社会を健全にしていく。
この「保守的な革新」の姿勢こそ、ドラッカーの思想の核心です。革命は理性による断罪ですが、イノベーションは現実への誠実な応答なのです。
「良い勝ち」と「良い負け」
サッカーを例に、先生は次のように語られました。
「勝ったけれどモヤモヤする試合」もあれば、「負けたけれど清々しい試合」もある。
経営にも「良い勝ち」「良い負け」があります。
数字的な成果が出ても意味を感じられない“悪い勝ち”よりも、たとえ成果が出なくても意義を感じられる“良い負け”のほうが価値がある。
そしてその先に、成果と意味が両立する“良い勝ち”があるのです。
経営においては、単に勝つだけでなく「どう勝つか」「どう負けるか」が重要とされます。
悪い負けの状態からいきなり良い勝ちを目指すと、成果ばかりを追い求めてしまい、結果的に「悪い勝ち」に陥りがちです。そのため、まずは「良い負け」ができるようになること、つまり成果が伴わなくても意味のある活動ができるようになることが、最終的に「良い勝ち」へと繋がる重要なステップです。
経営とは、単に結果を出すことではなく、意味を取り戻す営みなのです。
真摯さこそ経営の基盤
講演の終盤で紹介されたのは、ドラッカーの有名な一節でした。
真摯さは習得できない。仕事についたときにもっていなければ、あとで身につけることはできない。真摯さはごまかしがきかない。一緒に働けば、特に部下にはその者が真摯であるかどうかは数週間でわかる。部下たちは、無能、無知、頼りなさ、不作法などほとんどのことは許す。しかし真摯さの欠如だけは許さない。そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない。
P.F.ドラッカー『現代の経営〈上〉』
どんなに立派な戦略を立てても、真摯さを欠く経営者は信頼を失います。
経営とは、人に誠実に応答すること。社員・顧客・社会に対して真摯に向き合う姿勢こそが、信頼と成果をつなぐ土台になります。
経営に活かすヒント(まとめ)
宇田川先生の講演から見えてくるのは、経営とは数字ではなく、意味をつくる営みであるということです。中小企業においては、経営者の姿勢や価値観がそのまま会社の文化になります。
だからこそ、次の三つの視点が重要です。
考えられる組織を育てること
現場に「考える余白」をつくりましょう。上から指示するのではなく、「どう思う?」「なぜそうしたの?」と問いかけることで、社員は自ら考える力を取り戻します。
対話を経営の中心に置くこと
顧客・社員・取引先など“他者”との応答の中に、自社の存在意義を見いだしましょう。ドラッカーの言う「顧客の創造」とは、人との関係を新たに創り出すことでもあります。
商品やサービスの“外側”を見つめること
「自社が本当にやっていることは、商品やサービスを引いた残りに現れる」。
その“残余”にあるもの――社員の姿勢、顧客へのまなざし、誠実な関係――こそが、御社の価値を形づくります。
真摯さを貫くこと
真摯さは最も根本的な経営資源です。誠実に対話し、誠実に判断し、誠実に実行する。その積み重ねが信頼を生み、信頼が持続的な成果を支えます。
経営とは、「どう勝つか」よりも「どう生きるか」を問う行為です。
社会の中で自社がどのような役割を果たすのか。
この問いを持ち続けることこそが、変化の時代を生き抜く最大の力になるのではないでしょうか。
