このコラムは傍楽通信2015年11月号の記事をリライトしたものです

以前にNHKで「経世済民の男」と題して、現代の日本を作ったと言われる3人の経済人がドラマ化されました。今回はその中から小林一三を取り上げたいと思います。基本的にドラマに沿った内容をお伝えします。ドラマの脚本上、一部事実と異なる部分もある可能性がありますことをご了承ください。

小林一三は阪急電鉄の創始者で、現代の私たちが当たり前のように利用している、あるいは見ているものをたくさん生み出したアイデアマンでもありました。私鉄運営のモデルとなった阪急電鉄をはじめ、当時は世界でも類を見なかった駅とつながったデパートである阪急百貨店、サラリーマンがマイホームを持つために考え出した住宅ローンの仕組み、日本初の企業PRパンフレット、昨年100周年を迎えた宝塚歌劇団、数々のエンターテインメントを生み出し続ける東宝など、挙げれば切りがありません。また高校野球の生みの親でもあります。小林一三はなぜこれほどまで多くの功績を残せたのでしょうか。それにはある人物との約束が大きな要因となっていました。

小林一三の人生を変えた人物

輝かしい功績を残した小林一三ですが、最初から輝かしい人生を送っていたのではないようです。そんな小林一三の人生を変えたのが、三井銀行時代の上司で、後に北濱銀行を作った岩下清周でした。岩下清周のもとで働くうちに小林一三は事業の面白さに気づいていきます。余談ですが、三井の始祖である三井高利は三重の松坂商人です。この三井家はもともと蒲生氏郷と共に滋賀から来た近江商人だという説があります。直接のつながりではありませんが、小林一三と滋賀県に接点があるなんて嬉しいですね。

すべての事業に共通するもの

さて、小林一三が生み出す事業にはある共通点があります。それは一体何だと思いますか?

ドラマで描かれた阪急電鉄の前身である、箕面有馬電気鉄道開発のエピソードにその答えが垣間見えます。箕面有馬電気鉄道は好景気の時に計画された、梅田、箕面、有馬を結ぶ行楽鉄道でした。しかし、好景気が終わり、計画が見直され精算されることとなった鉄道事業に小林一三は目をつけます。ちょうどその時、気管支炎を患っていた子供のために、家族で鉄道の計画地である田舎に遊びに行った小林一三は、妻が言った「こういう空気のいいところに住めたら良いな」という一言でひらめきます。それならば住めるようにすればいいと住宅開発を思いつくのです。住宅があれば電車の利用者も見込めます。さらに、当時のサラリーマンには夢だったマイホームを手に入れる手段として住宅ローンを考えました。

また、鉄道開通後、電車を降りて駅で買い物できたら良いのにという乗客の声をヒントに、駅とつながった百貨店のアイデアが生まれました。さらには、行楽鉄道とはいいながら、目的地が寂しい温泉地しかないという声を聞き、それならばと温泉とプールがある行楽施設を作り、これが後に宝塚歌劇団につながっていきます。

どの事業も、誰かのちょっとした言葉や不満がきっかけになっています。小林一三は「あったらいいな」という人々の声を見逃さず、それを形にすることを繰り返したのです。

人の息づかいがある事業

小林一三の事業は誰かの夢を実現するためのものなのです。岩下清周がドラマ中で小林一三に関して次のようなことを言っています。

あいつの事業には人の息づかいがあります。あいつは始めに「人」ありなんです。
その日がこうあれば良い、そんな小さな欲望をすくい取って形にし、それを事業にする。
あいつが創り出す事業の先には豊かな生活が待っています。

この言葉は、現代の経営にも通じる本質を突いています。事業の出発点が「自社の都合」や「利益の計算」ではなく、「人の小さな欲望」にある。そこに事業が長く続く理由があるのではないでしょうか。

情熱の源となった約束

「こうあってほしい」という誰かの小さな欲望を形にする、つまり事業の原則に従ったことを情熱をもってやり続けたのが小林一三だと言えます。そしてその情熱の源となったのが岩下清周との約束でした。その約束とは岩下の夢でもあった、日本を世界に冠たる一等国にするということ。岩下清周は真の一等国とはこの国に生まれて良かったと思える国だと言います。そして、小林一三は日本がそうなることを確信していました。ただしそうなるには一つ条件があるとも言いました。その条件とはなんでしょうか。その答えは次号で。